自己肯定感の低さは自己存在への誤った思い込みからきている

はい!鼻が寒すぎてついに防寒フェイスマスクを購入!!覆面姿でパソコン作業に勤しむ管理人トヨです。

・・・というわけで前回の続きですね。
そう、前回は自己肯定感を高めるための対処療法的やり方をメインにお送りしたんでした。(続きものなので、前回記事を先に読んでからまたここに戻ってきてね)

今回から数回(未定)は、対処療法的やり方を効果的に実践していくために知っておいたほうが便利な原因療法的やり方について書いていこうと思います。

対処療法的やり方だけで事足りる人は特に知る必要は無いと思います。事足りない人は、興味があったら読んでみてください。

また、日頃どういうふうに自分と向き合っていけばいいのかよくわからない人には、参考になる部分があるかもしれません。

ただし自己存在に触れる内容になるので、読むのがしんどいと感じる方は、無理せず調子が良い時にでもどうぞ~

そもそも“原因療法的”と表現したのは、自己肯定感を低めている原因(内的な引っかかり・問題のフラグが立った時点)を観ていくからです。(私が勝手にそういう表現をしているだけなので、決まった言葉があるわけではないです)

では原因とは何かというと、『自己存在についての誤った思い込み』です。この原因についての詳細は、この記事の一番下であらためて書くとして・・・

ひとまず、思い込みについて説明していきますね。

『思い込み』。
認知、信念、観念、価値観、価値基準、私的感覚などという言葉も、同じ意味で使われます。

その多くは幼少期に無意識下で形成されます。

人の世話がなければ生きるスベがなかった幼い頃の自分が、その環境で生き延びるために創りあげ、強化し続けてきた、「自分は○○だ」というあまりにもリアル感あふれる“偽りの真実”

たとえば
「自分は愛されない存在だ」
「自分は劣っている存在だ」
「自分は価値が無い存在だ」 など。

自分の都合で、自己存在をそんなふうに自己判断している。
自己存在の基盤を、真の自分じゃない偽りの自己像に置いている。

だから自分に確信が持てない。
自分がわからない。

そんな状態です。

その偽りの基盤を本来の自分に差し替える作業を行います。
無意識を意識化することで自動化された思考を手動に切り替え、都度修正する作業です。

“真実”だと思っていたものが実は“偽り”だったんだと気づき、自分という基盤への繋がりを再構築するんです。まぁ、ひとことでいうと『認知の修正』ですね。

自己存在ついての誤った思い込み(誤認知)を修正するのって本当にすごく大事でね。自分という存在の価値に心底気づけば、軽々しく罰したり批判したり卑下したり否定したりなんてできなくなってきます。そんなことしたら自分に失礼だよねっていう感覚が湧いてきます。

自己存在に対する敬意を取り戻すことが、自己肯定感を高めることに繋がるんです。

・・・あ、そうそう。
人それぞれ思い込みってたくさんあると思うんですよ。でもそれらの多くは根幹のものから枝分かれして、アレンジ・多様化したものだったりします(これが人格・個性となって現れます)。

私が学ばせて頂いているアドラー心理学によると(※今アドラーって恐ろしく玉石混交で、私が知らないアドラーもあるのでそういう表現をしています・・・)、人は概ね4~5個ほどの核になる思い込み(アドラーでは“私的感覚”と呼びます)をあらゆる場面で使いまわしながら生きているそうです。人それぞれにお気に入りの“思い込み”を持っているんですね。

ほら、よくあるじゃないですか。
自分の思い込みを知るために「○○すべき」「○○しなければならない」「○○してはならない」っていうのをひたすら紙に書き出すようなワーク。

たとえば「人には優しく接しなければならない」とか「人前で感情的になってはいけない」とか「弱音を吐いてはいけない」などなど。

あれって、皆さん書き出したら数えきれない位たくさん書けちゃうと思うんですけど、それらの多くはきっと顕在意識でも認識できるレベルの枝分かれした先の末端のもので、実はその奥の深いところに核となっているものが4、5個位あるっていうイメージなんだと思います。

この件に関しては、私個人の体験からの感覚としても、(何個あるかはさておき)お気に入りの思い込みを使いまわすという点で非常に実感があります。全く別の体験だったとしても、怒りの根っこが同じなんですよ。

しつこい位、呆れ果てる位、何十年も同じ“思い込み”を使って怒りの感情を創り出しては「世界はなんて理不尽なんだ」と嘆くと同時に、しょうもないことで怒ってしまう自分を「私はなんて未熟なんだろう」と責めて自己肯定感を低めているというわけです。

これが生き癖ですね。
人生のパターンです。
アドラーではライフスタイルといいます。
インド哲学では・・・下で別途説明します。

とにかく、ここでお伝えしたいことは、自分自身が人生のどこかの段階で無意識に創った思い込みは、これまた人生のどこかの段階で意識化して修正しなけければ、永遠に自動化されたベルトコンベヤーさながら同じような体験が運ばれ続けてくる、ということです。

思い込み=超高性能ベルトコンベヤー式体験製造機

みたいなものだと思ってくださればわかりやすいかな~

・・・。

あ、大丈夫なんですよ。
意識化すればいいという話なんで。

まぁあれです、そういう意味でいうと、人生で苦しい体験って皆さん充分されてきたと思いますが、その体験こそが、無意識さんによる『意識化(気づき)への呼びかけ』みたいなものです。

無意識さんががわざわざご丁寧に毎度似たような体験を創り出しては、「あなたの思い込みはここですよ~!!」って教えてくれてるんです。ヒント満載、サービス満点、人生に無駄はなし。

自分が創った思い込みを意識化できた瞬間から、これまで観えてこなかった手動化のスイッチがブイーンと浮き上がってきます。

手動化スイッチを押すかどうか、決めるのは自分です。
ベルトコンベヤーはすぐ自動化に戻ろうとするので、毎回手動化スイッチを押して切り替え作業を行うことになります。根気と勇気が試される作業・・・。

でも手動って楽しくないですか?
モノづくりが好きな人とか、特に。

自分を手作り、自分をDIY、自分を育成。

そんな感じ。

さて、はじめの話に戻りましょうか。それとインド哲学の話も。

自己肯定感を低めている原因は『自己存在についての誤った思い込み』と書きました。

誤った思い込みがもたらす弊害についてはヨーガの聖典でも記されています。

思い込みは100%自己存在に対する誤認知からきていて、ヨーガではこのような状態を“無智”といいます。

【ヨーガ・スートラ第2章3節】
無知(無智)、我想、執着、憎悪、生命欲が、五つの障害(煩悩)である。
インテグラル・ヨーガ (パタンジャリのヨーガ・スートラ)初版P.147より引用

煩悩=煩(わずら)い悩む、と書きます。つまり無智は苦しみの元なんです。

自己存在に対する無智。
=肯定すべき“自分”を知らない状態。

自分がわからない。
それが苦しみになっている。

全てここから、なんですよ。

無智な人間(魂)の意識は、忘却してしまった真実の自分を探し求めて、はじめのうちはひたすら外へ外へと向かっていきます。すると外側の体験に夢中になって、我を忘れてどっぷりと粗雑な物質次元に浸かり切るんです。

そしてそのままズブズブと沈み込んでしまい、もがいてもあがいても抜け出せなくなり、いよいよ生き苦しくなって、もうダメだ!!と思ったときにはじめて、苦しんでいる“自分という存在”に気づくんです。

その気づきが、今度は人間の意識を自分(内側)へと向かわせます。

どうしてこんなに苦しんだろう?
何がいけないんだろう?

そんな自問自答が始まるわけです。

人間(魂)はそういう数多の体験と気づきを経て、最終的に真の自分へと還っていきます。

つまり、魂の成長という大きな流れの中では、どんな人にも等しく“自己存在とはなんぞや?”という問いと向き合う段階が必ず訪れるということなんです。

だから自己肯定感が低くて真剣に悩むのも、魂の視点から観ると非常に正常なことだと私は思ってるんですよ。それだけいっぱい経験も積み、いろんな感情を体験し、自分の内側を深く観ることができるようになったってことですからね。

自己肯定感を低める段階に至った人って、つい自分を責めたり否定したりしがちじゃないですか?
きっと、とっても苦しいですよね。

でも、すみません。
私にはあなたの苦しみは本当にはわからないんです。

苦しいだろうなと想像はできるけど。
共感もできるかもしれないけど。
でもやっぱり私には“その”苦しみは、わかりません。

なぜならその苦しみは、あなたの体験と全く同じ体験をして、全く同じ記憶と認知と感性を持たない限り、本当には知ることができないものだからです。

それだけ貴重だってことです。
それだけ唯一無二の貴重な体験を経ている存在だってことです。

尊敬と敬意しか湧いてきません、本当に。

それでも、苦しいのは想像できるから、私はまず、確信をもってこれだけは伝えさせて頂きたいと思います。

あなたがたとえどんなに自分自身を責めて自分をズタボロにしたとしても、“責めているあなた”も“責められているあなた”も、すでに完全に赦されています。

あなたがたとえどんなに自分を否定して自分を滅しようとしたとしても、あなたという存在は否定しようがないほど圧倒的な存在です。

ただ、自分を知るために、今、そういう段階に在るだけ。

心が弱いからではなく。
未熟だからでも、ダメだからでもなく。

ただ、そういう体験を通して、知りたいことがあるというだけ。

いろいろあったけど、自分なりに精一杯生きてきた。

そんな存在。
それがあなた、じゃないですか?

だから、自分を責めたり否定する自分も、居ていいんですよ。
それもあなただから。

どんな想いも、自分を知るためのヒントとして拾っていってあげれば、それでいいんです。

どうか自分の強さ、そして自分への愛を思い出してください。

はい。
この記事の最後に次回の布石をば・・・。

自己肯定感を高めるための内的な作業を行うためには、自分の都合は排して、事実は事実として認める強さが必要になります。

責めることや否定することで、事実から都合よく逃げない強さ、ね。

よく頑張ってきた、という事実。
今も精一杯生きている、という事実。
自分が自分の価値を低めたくて低めている、という事実。

自分を正しく観る。
まずはこの点に取り組む勇気がいります。

一方『思い込み』は自己都合に分類されるものです。

観たいように、自分を観ているので。

そこをいかに識別・客観視していくかがポイントになってくるかなぁと思います。

この点は今回は簡単に、ですが・・・次回詳しく書いていこうかな~。

ふぁー・・・。
この記事、書くのに異常に時間かかってしまって、実は結構悩みながらの作業になりました。伝えるのって難しい・・・あ!私の体験談も書かなきゃですね。いや、いる?体験談、いる?いらんのでは??

そこはノープランで、とりあえず次回へ続きます。

何かの参考にして頂けると幸いです。

それでは!