ぼっち飯が通常運転、ぼっちマインド界の生き字引・管理人トヨです。
振り返ってみると、ぼっちって私にとって長年のテーマであり、苦しみの原因でもあったなぁ・・・と。
今回は、そんなぼっちマインドを生まれながらに有する管理人トヨが、いかにこのテーマと向き合ってきたのかを記したいと思います。
まず記憶しているのが保育園時代、私はひとりで黙々と自分がやりたいことを集中してやるタイプのお子で、偶然やりたいことが一緒だった子と遊ぶことはあっても、特定のお友達っていうのを作るという必要性も、そういう概念さえありませんでした。
友達がいないという自覚もなく、周りみんなが“お友達”。
自分の中に広がる世界に没頭し、自由にやりたいことだけをやっていた、まさに無敵の時代でした。
いっそこのまま大人へと駆け上がることができたら、どんなに楽だったか・・・。
でもやはりこの世界は残酷だ(by進撃の巨人)。
途中でつまずきました。
転機は卒園式の日に配られた卒園文集。
各園児の紹介ページに「仲良しのお友達」っていう欄がありましてですね。
私自身は特にいなかったんで、先生に聞かれたとき、たまたま前を通り過ぎた女の子の名前を言ったように記憶していますが、逆に私の名前を書いてくれた子はひとりもいなかったんですよ。
今考えると当然です。
何しろ友達がいなかったんで(笑)
でもその事実を目の当たりにしたとき、完全にスイッチが入りました。
「ワタシ、トモダチがいない、ハズカシイ」
それまでは自分の世界で自分だけを感じていたものが、グルンと視点が180°反転して他者の世界から自分を自覚した瞬間です。
もともと感受性が強くて繊細なお子だったので、子どもながらに深く深く落ち込みました。卒園文集に掲載された自分のはにかんだような笑顔がひどく惨めにみえてしまって、とても悲しかったのを覚えています。
自己肯定感がガクンと下がりました。
小学校入学時。
すでにスイッチが入ってしまっていたので、“お友達”なるものへの渇望が出てきました。でもどうやったらそれを手に入れられるのか、全くわかりませんでしたね。じっと席に座って静かに周りを観察していました。
すると後ろの席の女の子がたまたま話かけてきてくれて、私は生まれてはじめて仲良しの“お友達”をゲットしました。黙って座っていると“お友達”ができた・・・という体験です。
更に、ここから“お友達”とそれ以外という感覚が芽生えました。大切なのは“お友達”で、それ以外はなんだかぼんやりしている感じです。周りは周りでいくつかのグループが形成され、よくあるスクールカーストのようなものものあったような気がします。
でも私は、そのはじめての“お友達”さえいれば満足でした。
逆にその子が風邪で休んだ日なんかは、恐ろしいほどの孤独感を感じましたね。自分の世界に没頭できていた頃には感じなかった、「ひとりぼっち」という感覚が生まれました。
この孤独感を完全にこじらせたのが、はじめてのクラス替えとなった小学3年生の時です。イジメに逢いましてね。
仲が良かったはじめての“お友達”もこのタイミングで転校してしまったので、本当に、心底「ひとりぼっち」という体験をしました。
もともと自分から“お友達”を作りにいくスキルがゼロのままだったし、自己肯定感はすでに十分低かった。
しかも持ち前の繊細さで、周りの子たちが家庭環境やら人間関係やらで、小学3年生といえども結構なストレスを抱えているのを感じていました。威張っていても内側では劣等感がすごかったり、楽しそうにしていても不安がたくさんだったり・・・。
そういうのがどんどん流れ込んできてその人の苦しみがわかってしまうため、見透かされた相手の心を揺さぶってしまい、イジメの対象になりやすかったのかもしれません。
今考えるといっそ学校を休んでしまってもよかったんですけど、家族に心配を掛けたくないという一心で、毎日足を引きずるように学校に行っていたのを今でも覚えています。
幸い4年生に上がったタイミングで担任の先生が変わり、そのとき転校してきた女の子と仲良くなったので、イジメはそこで収まりました。
その後は二度と孤独感を感じることが無いように、二度とひとりぼっちにならないように、必死に“お友達”を獲得するようになりましたね。
一緒に居たいから仲良くするとかじゃないんですよ。
独りになりたくないから仲良くしてください、です。
更に決して目立つことがないように、気配を消すスキルを磨いていくことになります(気配については他にも消そうとするに至った要因があるんですが)。
人の顔色を伺い、相手が欲しい言動を鋭く察知してご提供。決して嫌われることが無いように全エネルギーを投入して嘘の自分を作り上げました(無意識)。
過剰適応という底なし沼へ、自らズブズブと入っていったわけです。
さて、中学生のときに一度転校しました。
その中学校は、それまでにいた規則にがんじがらめ息詰まり中学校とは真逆で、雰囲気も明るく、自由な校風でした。
その転校した先で、私はとても面白くて印象深い出会いを経験します。
誘われて入ったブラスバンド部で一緒だった同級生の女の子に目をつけられたんです。目をつけられたといっても、ネガティブな意味ではありません。なぜかすごく気に入られたんですね。
きっかけは、出会って間もない彼女から突然「私の誕生日わかる?」と聞かれて、ふと浮かんだ日付をとっさに答えてみたらズバリ的中してしまったことでしょうか・・・。
目を潤ませて「やっぱりお母さんだ!お母さんでしょ!!やっと見つけた!!!」と、そのときから私はその子のお母さんに認定されてしまったんです。
認定された日から、その子はわざわざ別のクラスから休み時間のたびに私のところにきては、ピッタリとくっついてくるようになりました。
その子は当時の私からするととっても変な子で、クラスで浮いているわけでもなく普通に仲良しの友達もいて、でも特定のグループに所属することもなく、自分の心のままにそのとき一緒にいたい人に逢いに行って楽しく過ごすというなんとも自由な交友スタイルの人でした。
私はそのときにはすっかり過剰適応が板につき、無意識レベルにまで刷り込んでいたので、彼女の存在は私の心の深く痛いところを『違和感』という感覚で常に刺激してきました。でも嫌いじゃないんですよ。とっても変な人だと若干引きつつも、同時に憧れに似た感情も抱いていたと思います。
あまりにも彼女が自然体で自由だったのでね。
まるで保育園時代の“お友達”という概念すら無く無敵だった頃の幼い私が、彼女の姿をまとって再び現れたような感じでした。
それでは!




