はい!トヨです。
ここ数回、罪悪感との向き合い方について書いてきました。
前回の記事 ↓
【内観】罪悪感を活用して本当の自分を知るための具体的な方法を解説
前回は罪悪感が湧いたときの心の整理方法(内観のやり方)についても詳しくご紹介したことだし、罪悪感関連はお腹いっぱいでしばらくは書くことないかなーと思ってたんです・・・が!
トヨ自身の体験談をまだ書いてなかったことに気づいてしまいました。
実は私、こうして心の働きのことをお伝えするときは、なるべく自分自身の体験を踏まえたものにしたいなぁと日頃から考えておりまして。
というわけで、お題はこちら!
『母親との共依存と、罪悪感と自立の話』
せっかくなので今回は罪悪感だけじゃなく、共依存と自立についても一緒に触れていこうと思います。機能不全家庭やアダルトチルドレンにも少しだけ。
似たようなことで悩んでいる人には、何か参考になるかもしれません。
それではいってみよう!
母が選んだ生き方
はじめに少し、登場人物紹介をさせてください。
まずは母から。
彼女はゴリゴリの末っ子。
子どものころから「何にもできない弱くておバカな〇〇ちゃん」という役割を原家族の中で引き受けてきた人でした。
※原家族:生まれて育った家族のこと
今、私が把握している彼女は、実際は全くそんなことないんですよ。
とっても自我が強くて自立心旺盛ですし、何でも自分でやろうとするし、なんか知らんけどすごく計算が早いし(トヨは数字が苦手)、むしろ本性的には真逆だったんじゃないかな。
でもなぜか母の親兄弟は彼女をそういうふうに扱っていたので、彼女自身がそのパーソナリティでその原家族に所属することをある時点(幼少期)で選んだんだな・・・と理解しています。
人は役割を引き受けることで家族に所属する
家族という集団は本当に不思議で興味深いです。
新参者(あとから生まれた子)はそこにうまく所属するために、誰も担当していない役割を自ら引き受けたりしちゃうんですよね。
たとえばですけど、
親がいろいろ不安定だと、長子はしっかり者という役割で所属しがち。
次子は長子とライバルになりがち。しかも長子が先にしっかり者の役割をゲットしたので、次子・中間子は長子とキャラが被らないように真逆の破天荒キャラやおちゃらけキャラ、反発キャラなどで所属。
そうなると末っ子は、そのいずれとも被らないように甘えん坊キャラで所属・・・てな具合です。
もともとの気質や知性、年齢差や親のパーソナリティなんかも影響するんだろうし、同じ役割でも性別によってキャラ設定が微妙に変わってくるし、本当に興味深いところなんですよね。
(このあたりについて興味がある方はアドラー心理学・ライフスタイル分析の『家族布置』について学ばれてみてください。おもしろいです。)
役割を引き受けるメリット
で、我が母の場合は、他にもいろいろ選択肢はあっただろうに何の因果か、『何にもできない弱くておバカな末っ子』という役割を引き受けたわけです。
トヨが考えるに、この役割を全うするためには主に以下の点に注意して、常に自分に(無意識で)制限を掛けなければいけません。
- 人より上手に何かができてはいけない
- 賢くしっかりしていてはいけない
- 自分の考えを主張してはいけない
あらゆる顕在能力値をドーンと引き下げる必要があるんですね(無意識です)。
母曰く・・・
「考えはじめると無性に眠くなる」
「自分の考えを言おうとすると頭が真っ白になって言葉が出てこない」
こんな感じに脳がフリーズするそうです。
(でも冷静に母を観察していると、実際は毒々しい直球で言いたいことを言っている時もあるんですけどね・・・笑)
自己肯定感も低くなります。
『できない自分』キャラでいこうとすると、自己肯定感を内側に育てるわけにいきません。
一方でこうした代償と引き換えに、周りから助けられ与えられ、バカにされつつもなんだかんだで可愛がられるマスコット的な立ち位置をゲットできます。
それに加えてあらゆる責任から逃れられます。
何かミスしても、「〇〇ちゃんだから仕方ないよね・・・」てな感じでなんとなく見逃してもらえます。なんだかんだ言われながらも周りからフォローが入ります。
・・・あーなるほど。
こうしてあらためて書き出してみると、結構メリットあるもんですね。
家族間の役割って、自分に何かしらの心理的メリット(無意識)がないと引き受けないものなんですよ。なのでなんだか今、すごい納得しました。
母の原家族では、ある意味末っ子として所属しやすい役割だったかもしれません。きっと原家族内では、このキャラでうまくやれてたんだろうな・・・と思います。
父もいろいろあったのよ
さて、そんな超絶マスコットキャラとして過ごした娘時代を経て、これまた何の因果か、よりによって(笑)崖っぷちこそ我が人生★「人生とは苦しむもんだ」が信条の父と出会い結婚。
そして満を持してこの私・トヨが第一子長女として誕生するわけです・・・。
せっかくなんでここで父のことも簡単に紹介しときましょ。
彼は自営業をやっていましたが仕事にしか意識が向かず、今考えると躁鬱傾向アリで、当時は精神的に非常に不安定でしたね。
仕事がうまくいかず機嫌が悪いときは突然キレて、トヨはよく吹っ飛ばされて壁に激突する位に叩かれました。(因みに叩かれていたのは家族で私だけ)
父もまた、自分の父親がアル中DVで働かない極貧家庭だったそうなので、生育環境はかなり厳しかったんだと思います。
実は先日、父と別件で話している最中、突然「仕事にあんなにも執着して家族をほったらかしにしたのは親父の反面教師だった・・・すまないことをした」って、言われちゃったんですよ。
今は70代半ばになった父。
かつて私に罵倒されてへなへなと座り込み、その日のうちに家出した父。
それからも色々ありましたが・・・。
人は変わりますからね・・・。
人間とは本当に興味深い存在ですな~(しみじみ)
トヨもいろいろあったのよ
で、私が小学生に入学した時の話。
そんな当時働き盛りの父から、入学記念に一通の手紙をもらいました。
そこには『お父さんは仕事が忙しいから、お父さんの代わりに家を守ってお母さんを助けてあげてください。』と書かれていました。
なんとトヨは齢6歳にして、父不在の一家で、家を守る大黒柱という大役を引き受けることになったのでした(笑)
家を守り・・・
母を守る・・・
6歳で!?
大変な重責ですぞ、これは。
でも純粋かつクソ真面目気質だったトヨは、やらねば!と腹を決めちゃったわけですよ。
だって実際、当時の母は「わたしが守らなきゃ!」と子どもながらに思ってしまうほど何の力もなくて弱く、ただ父に怯えて顔色を伺ってばかりの存在だったからです。
(思い込みでしたが笑)
娘の私に父の愚痴を吐き出すのが彼女の精一杯でしたよね。
私は彼女の愚痴聞き役であり、慰め役でした。
歳の離れた妹が生まれたときは「こんな両親にまともな育児ができるわけがないだろ!私がこの子を育てなければ!」と、自分もまだまだ子どもだったのにも関わらず、頼まれてもいないのに親の役割も自ら引き受けて、今考えるとそりゃーもう大変アンバランスな心の状態だったと思います。
これぞまさに!!!
典型的な機能不全家庭&典型的なアダルトチルドレン・・・笑
共依存関係にはお互い何かしらのメリットがある
さて。
自分は弱くて何にもできないと信じている母親と、なぜか父の代わりに母親を守るという責任を引き受けた娘。
こんな娘と、そんな母親。
組み合わさるとどうなると思います?
これは簡単。
考えるまでもない。
当然『共依存関係』になります。
需要と供給がぴったんこ★
双方に心理的メリットがあるから、抜け出すのがかなり大変な案件だったわけですよ。
これは別に私たち母娘だけじゃなく、共依存関係全般がそうです。
DV夫とその妻とか、傍からみてると「妻よ、なぜ別れない!?」とツッコミたくなりますよね。
だけど深いところでは本人たちでさえ自覚し得ない『別れないほうがいいメリット』が夫はもちろん妻にもあるから、一緒にいる選択を、妻自ら選んでたりします。
本人はめっちゃ苦しんでるんですけどね。
人間の心の働きってほんと、複雑ですなぁ・・・
共依存関係に気づいた側の責任
そんなハマると抜け出しがたい共依存関係。
抜け出す流れはだいたい、負荷がより大きい側の『違和感・疑問フラグ』が立つことではじまります。
DV夫とその妻なら、概ねDVされる妻のほう。
そりゃそうだ。
痛いし、理不尽だもんね。
大切にされてないもんね。
母と私なら、私のほう。
そりゃそうだ。
よく考えたら、母を守るの私の役目じゃなくない?
よく考えたら、母ってそんなに弱くなくない?
よく考えたら私、自分の人生生きてなくない?
みたいな感じ。
で、共依存関係ってその関係の歪さに気づいた側が、がんばって抜け出すしかないんですよ。
あえてもっと強い表現をさせていただけるなら、先に気づいた側には、自立する責任が生じる・・・かな。
というのも魂の視点から観ると、共依存関係の構築は、魂が『自立』を体験するために前置きされた第一幕でしかないのです。
これは依存しあう双方が一緒に取り組む共通の学びです。
加害者も被害者もありません。
負荷を与える側と与えられる側、互いに成長するための役割分担が生じている以上、気づく体験を先に得た側が依存関係を抜け出すよう試行錯誤するのが魂次元での筋ってもんなんですよ。
そうじゃないと、ズブズブ続いていくだけです。
相手のせいとか誰が悪いとか、そういうことに執着してる場合じゃない。
せっかく見事『違和感・疑問フラグ』を立てるところまでいけたのに、そこでぐずっているままだと(魂的には)ちょっと、もったいないわけです。
まぁ、誰かのせいにしといたほうが、楽なんですけど・・・。
でもトヨは、共依存関係を抜け出したいと心から願っている人がいつかこの文章を読むことを想定して、あえて強い調子でお伝えしておこうと思います。
共依存関係は被害者スタンスでは絶対に抜け出せません。
被害者意識だと・・・
それこそ我が父のように親を反面教師にして正反対のところに人生を振り切った結果、結局は親と同じ所業を為して苦しむことになったり・・・。
もしくは強い拒否感をもって自分の意識から親を排除し続けようとして逆に、心の中でその存在と憎しみが大きく膨らんで苦しむことになっちゃったり・・・。
また人によっては心の深いところからそこはかとなく、じんわり罪悪感も湧いてきて葛藤したりもするでしょう。
《被害者》という役割を引き受けたまま、同時に幸せでいるのって、思いのほか難しいのです。
相手の存在にガッツリ影響された人生を生きていかなきゃならないから。
相手の存在や価値観を合わせ鏡として人生の選択をしてるわけですから、ある意味これ、依存してるのと同じだったりします。
何かうまくいかないことがあるたびに原因を生育環境や親に求めて自己憐憫するわけですから・・・ねぇ。
ここで名言。
『生殺与奪の権を他人に握らせるな!!』
by鬼滅の刃・冨岡義勇
そう!
『自分を生きる権利』を自分に引き戻さなきゃならんのです(;・∀・)
権利には責任が伴うもの・・・
だからこそ、共依存関係の歪さに気づいて、そこから抜け出したいと思った側には、責任が生じます。
ここでいう責任とは確固たる自分を確立して精神的自立を果たし、本当の意味で自分に根差した幸せな人生を生きるという、自分への責任です。
・・・このあたりは読んでいてかなり厳しいと感じるところかもしれません。
怒りもめっちゃ湧くかもしれません・・・。
でも、この『自分には自分を幸せにする責任があるんだ!!!』という強い覚悟がないと、抜け出そうとして試行錯誤するときに湧いてくる超強烈な罪悪感に抗えないんですよね。
エゴちゃんがつくり出す罪悪感がヤバすぎて、全部もってかれちゃうから~
ここでしっかり書いておきたかったの。
気を悪くしたならごめんなさい。
ま、魂的には共依存体験もたくさんある学びのうちのひとつなわけですし、『抜け出そうと試行錯誤する体験ができるのは、気づいた側の特権なんだぞ★』ってことで、前向きに捉えていただければいいかと思います・・・?笑
母は重く、娘は家を出る
そしてトヨと母の話。
私の場合、共依存だと気づいたのはかなり早かったんですけど、そこからが長かったです。
我慢できちゃう自分がおりました。
ウン十年ほどかな。
ほら、トヨって粘着質でしょ。
無駄に辛抱強いのです。
・・・いや、本当は、母を失望させるのが怖かったのかも。
とにかくトヨは回避し続けて、この課題に向き合わずにやり過ごしてきたのですよ。
これ、魂的には、せっかくフラグ立てるところまでサクっといったのに延々回避しちゃって、とってももったいないヤツになってたのです。もっと早いこと取りくんどきゃ、ここまでこじれなかったかもしれないが・・・うーんどうでしょ。
でも大丈夫でした。
なにしろ魂も粘着質なので、あきらめることを知らない。
決して逃さないのだっ\(^o^)/
ちゃーんとガッツリ向き合えるように軌道修正してくれました。
なんとトヨさん、原因不明の病気で仕事もできなくなって実家に転がり込み、数年かけて療養することになったんですねぇ・・・(白目)
まさにこのタイミングです。
母との共依存関係が耐えられないレベルにまで到達したのは。
心底ウンザリしました。
母との関係に。
もう、重くて重くて・・・。
持ち前の弱さと被害者スタンスでこちらをコントロールしようとしてくるので、本当にしんどかったです。
彼女の「どうせ私なんて・・・」みたいな自虐的な発言は、トヨから「そんなことないよ」というフォローがあるべきものだという前提だったので、自虐のたびに彼女の心を引き上げねばならなかった私は常にエネルギーを彼女のために差し出していたし・・・。
愚痴は聞いてもらって当然という意識だったし・・・。
あらゆることにおいてトヨが彼女の期待通りの対応をしなければ『可哀想なわたし』スイッチをオンにして、私の罪悪感をチクチク刺激してくるわけです。
久しぶりに一緒に暮らしてみて感じたことは、まるで精神が未熟なままの子どもみたいでしたよね。
あ、そもそもそういうキャラ設定だったか。
彼女にとっては、周りからケアされるのは当たり前でした。
たとえ娘であろうとも。
いや、自分が産んだ娘だからこそ、一心同体で当然。
べったりねっとり、心理的癒着状態でした。
でもあのとき本当に弱っていたのは、トヨのほうだったので。
人生最大の苦境に立ち、助けてもらわなきゃ生きていけない状況だったので。
エネルギーは枯渇し、人生に絶望し、毎日死について生々しく考えてたわけですから・・・彼女の期待通りの対応なんて、できるわけなかったんですよ。
幸いトヨは、数年の療養期間中にヨガやアドラーと出会うことができました。
心身相関の観点から自分の心身と向き合った結果、原因不明ながらも症状が寛解してきて、なんとか身体的負担が少ない仕事を見つけて社会復帰することができました。
でもその一方で、母という存在へのストレスが日に日に増してきて、次第に感情のコントロールに難しさを感じ、これ以上一緒にいたらお互いダメになる予感がしたところで、意を決して家を出ました。
知り合いを頼って、急遽使ってない空き家に住まわせていただき、母と一切連絡を絶って、自分だけに集中する日々を送ることにしたところ・・・
きたきたきたぁ!!!
皆さま、大変長らくお待たせしました。
エゴちゃんお手製 ♪
超強烈な罪悪感が、満を持してのご登場☆ですよ。
共依存関係を抜け出そうとするときの罪悪感はこんな感じ
共依存関係から抜け出そうとすると湧いてくることが多い罪悪感。
私の場合は、
母を見捨てた
母を傷つけた
母を失望させた
母を裏切った
母にやさしくできなかった
母をひとりにした
育ててくれた恩を仇で返した
私はわがまま
私は非情
私はひどい人間
私なんて生きる価値ない
ここらへんのことに対する罪悪感と自分を責め立てる自責感が大波小波で来るわ来るわ・・・。
あれはそう・・・ラプンツェルと同じですね。
『塔の上のラプンツェル』をご存知の方。
ラプンツェルが母親の言いつけに背いて塔から出ようとする場面のあのヤバイ位の葛藤。
あれと似たような葛藤がトヨの心にも起こりました。
いっそ今すぐ連絡して謝り(何を謝るのかは不明)、この苦しみからラクになってしまいたい衝動に駆られたことも幾度となくありましたよ。
エゴちゃんの本気はヤバイ。
強すぎる感情の前には、軟弱な理性はまるで歯が立ちません。
実際トヨはこのときすでに共依存についての知識は持っていたし、母との関係が共依存だってことも理解していたし、更に心理学等も多少は勉強している段階でした。
だけど、そんな薄っぺらい知識なんて簡単に吹っ飛んでしまう位の、知性・理性では抗えないほど強烈な罪悪感でした。
冷静なもうひとりの自分が踏みとどませる
一方で冷静に状況を観ている自分も辛うじておりました。
今ここで母の元へ戻ってしまったら、お互いにとって決していい結果にならないことに気づいてるわけです。
自分のためにもならないし、母のためにもならない。
このことは絶対的事実として、私の中に確信がありました。
そして今が共依存から抜け出すタイミングだという確信も。
トヨの場合、ずいぶん長いこと回避していましたからねぇ・・・。
ここで自立への道へと向かわなければ、更に苦しくなることはわかってたので・・・。
なので腹を決めて、本気で自分と向き合おうと決めたのです。
そしてついに罪悪感と向き合う
自分と向き合おうと決めてからは、罪悪感がグワーッと湧いて飲み込まれそうになるたびに、その罪悪感を作る必要性と、共依存でいることのメリットを内観して観ていく日々を送りました。
★ 詳しい向き合い方はこちら ↓
【内観】罪悪感を活用して本当の自分を知るための具体的な方法を解説
この作業は結構徹底的にやったかも。
・・・というか、やらずにはおれないわけですよ。
やらなければあっという間に罪悪感に飲み込まれてしまい、自分を心の中で責め続ける自動思考の沼にドブンとINしてしまうから。
そうならないために、当時の私は自分と向き合う作業が必要だったのです。
作業の中で次第に ↓ こういう気づきを得ていきました。
- 母のことを無力で弱く、自分が守らねばならないという思い込みを持っていたこと
- 守らねばならないという思い込みはどうやら、父からの例の手紙がかなり影響していたようだということ
- よく考えたら母は無力でも弱くもないし、むしろ弱さで周りをコントロールしようとする強かさを持っていること
- 母を守ることで、私は家族の中での所属感を得ようとしていたこと
- 母を守りたいなら、父が自分でやればいいということ
- 私が母に依存し続けることが、母の精神的自立を妨げてしまっていること
- 私という存在は、他の誰かではなく自分自身に根差した人生を生きてみたいと願っていること
- 私は母のことがなんだかんだいっても大好きで、愛されたいと願っていること
で、やり続けていくことで起きた変化としては、罪悪感との距離を保てるようになりました。
変化を嫌うエゴちゃんはせっせと罪悪感を湧き立たせてくるんですけど、自分と向き合う日々を送る中で母への罪悪感に慣れてしまい「あーまた来たか」というふうに、冷静な意識が先に立つようになってきましたね。
それに、罪悪感を湧き立たせるエゴちゃんに対して、逆に自分の本当の願いや想いを伝えられるようになりました。
「私は本当は、自分で自分の人生を創ってみたいんだよ」
「怖いけど、自分らしく生きてみたいんだ」
「私らしい私の人生、一緒に創ってみないかい?」
・・・むしろ誘ってみたりしちゃったりなんかして笑
どうやら人は変わるらしい
あとは、母の内面の強さに明確に気づいたことで、母を甘やかさなくなりましたよね。
ユウシャ トヨハ スパルタニ メザメタ
「お母さんならできるやろ」
「本当は賢いんだから、自分でやりなよ」
「自分の強さから逃げるな」
甘やかさないの。
でも勇気づけはガッツリするのだ。
本人より先に私が彼女の賢さや強さを信じるのだ。
だって実際、本当はできる人なんだから。
母のエゴちゃん(この場合はインナーチャイルド)をせっせと励ましつつ教育してる世にも奇妙な娘 トヨ ←
因みに最近彼女には、自分の気持ちを言葉にして正確に相手に伝える練習に励んでもらっています。
というのも彼女は現在、徐々に体が不自由になっていく進行性の難病になっていて、いろんな専門的ケアの人と関わる機会が多いので、「自分の気持ちをきちんと伝える技術はこれからとっても必要なことだよ」と話をしたところ、彼女も納得して気持ちを上手に伝える練習をしている最中です。
わからないことは自分でケアマネージャーや福祉用具の方に電話で問い合わせ、最近は自分で電動車椅子を取り寄せる決断をし、運転の練習をして、近所のコンビニやスーパーに買い物に出かけていっています。
すごい変化。
まぁ今も相変わらず私をコントロールする言動をしてきて、私が思い通りに動かないと当てつけみたいな行動してくることもあるんでけどね笑
そういうのに関してトヨは、一瞬で見抜くスペシャルな洞察力の持ち主なので、
「はい~今のは当てつけですねっ」とすぐに切り替えしてあげると
「くそぉ」とかわいく悔しがりながら抗議してきますよ。
抗議だけして、それ以上は強要してこない。
これまで私にしつこく指摘されて、彼女はよくわかってるから笑
THE・境界線。
これ、大切。
しかし母も因果なもんですョ。
まさか我が娘がこんなにも育成・指導が得意な粘着質魂で、娘の自立イベントの煽りを受けて、今度は自分が娘に心の教育を施されるとは(顕在意識では)思いもよらなかったことでしょう・・・。
※うちは特殊例なので、親への対応という点においては参考にならないと思われます。一般的には親のインナーチャイルドを育ててみようなどと考える変態はそうそういないと思うので笑
まーこんな感じで、彼女も変化してきている気がします。
もちろん身体は衰えていくので、今後は更に肉体的ケアは必要になっていくのですが、それと心の成長は全く別なので・・・。
難病になってなお、前向きに心の成長に取り組んでいる彼女のことを、トヨは今、尊敬しています。
母に尊敬の念を持てたことは私にとって、とても嬉しいことです。
ようやく私たち母娘は、母娘という枠を超えて、対等な≪存在≫として話ができるようになりました。
ありがたいことです。
共依存という学びについて思うこと
共依存の学びって、依存し合う相手の存在が不可欠ですよね。
しかもその相手は、私が課題を達成する(=共依存から抜け出す)までのあいだ、精神的に成長することもせず、依存状態のままで居続けてもらえる存在でなければならないのです。
だって相手が先に成長しちゃったら、私が共依存から抜け出す体験ができないから。
相手だってわざわざ限りある肉体を纏ってまでしてこの三次元世界に現れてきている、成長を望む存在(魂)です。
なのに、こちらの学びのために成長しないまま依存関係でいてくれて、いつか私が自立を果たすその日まで自分の成長は棚上げして、その関係性の中の役割をやり続けてくれるわけですよ。
これってすごい愛だと思いません?
なんというか、存在そのものが『愛』といいますか。
こんな一生をささげるレベルの奉仕、愛がないと絶対できないよなぁ・・・と、トヨはしみじみ思うわけです。
特に家族間の共依存関係。
ときに家族って他人より、むずかしいでしょ?
こじれて破綻すると、その存在を掛けて命のやり取りにさえなりかねないほどの強い想いが生じます。
とんでもなく重苦しい愛憎執着が絡むからこそ、とっても深い学びが得られるんですよね。
きっと魂は、そこに存在そのものという『愛』があると知っているから、むずかしい家族関係の中にも勇気をもって飛び込んでいくんじゃないかな・・・と。
たとえ表面上は、そうは思えなくても。
それでもやっぱり、本質は『愛』なんだろうな・・・と、そんな気がしています。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
はい!
トヨの罪悪感体験談はこれで終わり。
いやー長かった。
またひとつ、結構なメガ長文を生み出してしまいましたよ汗
でもなんか知らんけど、心が分割したくないモードだったので、仕方ない\(^o^)/
それではまた~




