【内観】罪悪感を活用して本当の自分を知るための具体的な方法を解説

はい!トヨです。

前々回から罪悪感について書いていますよ。

因みに前回は、トヨが実際の内観作業を通して体感している、『罪悪感で覆い隠している本質的なもの』を具体的にいくつか紹介したような気がします。

前回の記事 ↓
罪悪感の存在意義とその奥に隠された本当に気づきたいもの

今回はトヨがいつもやっている内観の流れを参考までに書いていこうと思いますが・・・

その前に、心の中の作業を文章化できるのか問題

えーと、前回トヨは自分があきらめが悪い粘着質タイプであることを考えなしに公表しまして、それゆえ今、罪悪感が湧いたときに普段自分がやっている内観作業をなんとか文章に書き起こせないかとあれこれ思案し苦しむ羽目になっているわけですが(自業自得)。

とはいえ!
とはいえですよ!!

ぶっちゃけ、自分の内側でのみ感じている超感覚的なものを文章で表現するなんて、到底無理な話なんですよ(゚∀゚)☆ ←おいっ

それを承知で、せめて内観の雰囲気だけでも掴んでもらいたいという試みなので、何かしら誰かのヒントになればラッキー・・・という程度のものです。もし意味不明に感じられる方は、上手にスルーしてくださいね。

(はじめにハードルがっつり下げておくスタイル)

罪悪感を活用した内観作業(参考)

さて。
あくまで参考程度であることをご理解いただいたという前提で、トヨの内観の様子をざっくりですがお伝えします。

前回記事でお伝えした通り、↓これらを上から発掘していく感じの作業です。あとは思い込みの修正作業もやったりします。

  1. 隠された感情(←これを一次感情ともいいます)
  2. 隠された記憶
  3. 隠された思い込み
  4. 隠された純粋な願い

なお、とんでもないメガ長文が生まれてしまう予感がしているため、誤魔化しのためにアコーディオンメニュー方式(クリックで解説が開閉する仕組み)にしました。

気づいたら長文を書いてしまっている私にとって、救いの神アコーディオン。なんでもかんでも折りたたんでしまえばこっちのもんだっ\(^o^)/

必要な人にとっては解説部分も結構参考になるはずなので、クリックorタップして読んでみてね!

因みに内観するときは、集中できる楽な姿勢で、できたら気が散らない静かな空間で目は閉じて行ってもらうといいかと思います。

それではいってみよう!

「こんな感じかーなるほどー」と、まるではじめて感じるかのような意識で観察できるとなおよし、です。

これ、ぜひ試してもらいたいんですが、感情って意外と観察できるんですよ。種類によって身体の感覚も違うし、なんかいろいろ・・・とにかくそれぞれ特徴があっておもしろいです。← 言語化諦めた・・・

で、注意点としては、このとき罪悪感に飲み込まれないように、感情は感じつつも、あくまで観察者視点はキープし続ける必要があります。そしてこの観察者視点は内観作業のあいだ中ずっとキープでお願いします。

トヨは、『感情』は自分(本質)を知るための手段(材料/道具)と考えています。上手に活用してこそ、感情もスッキリ成仏できるってもんです。

イメージとしては、感情というロープを道しるべとしてたぐり寄せながら心の奥深くへと潜っていく感じですかね。

この作業をしばらくやっていると・・・

私の場合は悲しみが多いかな。
無力感なんかもあるかも。

この別の感情が、いわゆる“一時感情”ってやつですね。
(※一時感情については前々回記事参照)

これも実際やってみたらほんとに変化してくるんですよ。ぜひ試してみてほしいです。

ここがまたおもしろいところで、覆い隠されていた本質的な感情(一時感情)って、何らかの記憶(印象)に紐づいている場合がほとんどです。

というか、ほぼそうなんだと思われます。
(ここらへんの理屈はインド哲学の人間心理機能の理論で詳しく説明可能です。今回はそこまで書かないけど・・・)

ごく簡単ですがお伝えすると、普段私たちって、ある体験が起きたときに無意識レベルで記憶が想起されて、その記憶に対して感情が生み出され、その感情に意識が引きずられるから苦しくなるんですよ。

逆に、いくら体験から記憶が想起されて感情が生み出されても、それらに意識が引きずられず「今こんな記憶によってこんな感情が湧いてるのね~へぇ~」位に冷静かつ無反応かつ客観的な視点を保てれば、苦しくならないのです。

記憶や感情に感情移入しない感覚?みたいな。
それらと距離をガッツリ取る!みたいな。

で、まんまと引きずられてるってことは、単純なイメージとしては、どこかしらがひっついてしまい、ズルズル引っ張られてるってことですよね・・・

(インド哲学では観照する対象物である記憶や感情と本質的自己とを同一化・混同してしまっている状態ともいわれます)

なので感情をたどっていけば、それに紐づく記憶(印象)にまでたどり着くのは当然っちゃあ当然なんです。

で、その理論が本当なのか、自称自己探求マニアであるトヨが自分自身で検証し続けてみた結果・・・

どうやら本当にそうらしい・・・Σ(・ω・ノ)ノ

・・・ということがわかってきました。

いやぁ、インド哲学っていうのは解脱にまで至った(=心の働きを完全に浄化した)いにしえのヒマラヤ行者さん達の実体験に基づいた理論なので、これも当然っちゃあ当然なんでしょうけど、何千年も前にすでに心の深いところまで浄化可能な心理セラピーを確立していたというのがなんともすごいですよね。ロマンを感じます。

・・・あ、話が逸れました。
戻しましょ。

そう。
本当に突然、ポッ・・・と記憶が湧くんですよね。

最初はだいたいビックリします。

そこですかー!?

って感じで・・・。

ポイントとしては「これってどこに繋がってるんだろ・・・」「今生の最初のフラグはどこだろ・・・」などと意図しながら観察していくことですかね。

この記憶の領域までくるともう、深い意識状態での瞑想状態になっているので、グルグル思考は働きません。

どちらかというとこの領域での内観作業は、内側から答えが湧いてくるのを信頼して静かに待つ感覚で行うと、更に本質とつながりやすい気がします。

紐づいている記憶を無理にグルグル思考で探そうとせずに、観る必要があればポッと湧いてくるものなので、それだけ意図して(=信じて)あとはただ感情を辿って静かに潜っていく感じです。

ここらへんはインナーチャイルドセラピーとだいたい同じ要領かも。他人に誘導してもらうか、自分で自分を誘導するかの違いだけですね。

因みにトヨはインナーチャイルドセラピストでもありますが、これまでクライエントさんを誘導していて記憶が出てこなかった事例に遭遇したことがないんですよ。

しかも出てきた記憶は必ずそのとき観るべきものがちゃんと出てくる印象があるので、何かしら出てくるようになってるんだろうな・・・とは思ってます。

そもそも魂は、せっかく自分と向き合おうとしている貴重なタイミングを逃すわけがないのです。

なんといっても魂の本質的な目的は『自分を知りたい』ですから。本気で自分と向き合いたいと願うとき、魂(=本質的な自分)がちゃんとサポートしてくる感覚はあります。

※ここからは更にインナーチャイルドセラピー仕様です。
他のセラピストさんの『内観』とやり方違うやん!と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、今のところトヨはこの方法を気に入って実践しています。不快な方は上手にスルーしてくださいね!


さて。
まずは湧いてきた記憶について確認する作業を行います。

簡単にいえば、
「あのとき何が悲しかった?(虚しかった?苦しかった?etc.)」・・・と内側にやさしく問いかけてみるのです。

静かに待っていると、その感情を感じた理由がフッと現れてきます。

「わかってくれなくて悲しかった」
「心配してくれなくて悲しかった」などなど。

更に「あのとき自分のことをどう思ったの?」と聞いてみたりもします。

すると

「私のこと大切じゃないんだ」
「私には興味がないんだ」

こういう感じの想いが湧いてきたりします。

↑ これが自己存在に関する思い込みの部分です。

エゴちゃんが最も触れてほしくないところであり、本当は気づいてもらいたいところ。

この思い込みは同時に、これ以上傷つかないためのビリビリ防護柵にもなっていきます。

私でいえば、
「だって私、要らない子だから」
「だって私、誰からも愛されないから」

みたいな感じかな。

エゴちゃんはこの思い込み(偽の真実)を前提として、自分の生き方をコントロールしようとします。

『要らない子』だからこそ、必要とされるように過剰適応に走る。
『愛されない』からこそ、これ以上嫌われないように必死にがんばる。

ビリビリ防護柵(思い込み)に触れずに済むような自分になろうとします。

人が自分の内面と向き合うのを回避しがちな理由は主にこれです。
てか、全てこれです。

触れられるのが怖いのです。
痛いからね。

だからうっかり触れそうになると本当の感情を覆い隠すための『罪悪感』を創り出して自分を責めはじめるんです。

「ほらみろ!だから嫌われないように相手の言いなりになっておけばよかったんだ!」って。

エゴちゃんは自分を責めることで、もうビリビリ防護柵(思い込み)に近づかないようにコントロールし、自分の心を守ります。

自分を責めることで自分を守るなんて・・・最初からやり方が破綻してるんですよ。不器用の極みです。

だから『思い込み』は生きていく中で常に内的葛藤を生じさせ、生きづらさの原因になっていきます。(←自分を偽った生き方になりますからね)

と同時に、エゴちゃんが本当は気づいてほしいと願っている癒しポイントでもあります。

気づいてほしいけど、触れられると痛いから怖がって逃げてるエゴちゃん・・・。

とんでもなく不器用であまのじゃく。
頑固で臆病で・・・哀しいほどに、とっても純粋。

そんな可愛い可哀いエゴちゃんが、他ならぬ自分をこの世界でなんとか生きていけるようにがんばってたって考えると・・・ねぇ、どう感じますか?

トヨはなんだかもう、無条件に切なく愛おしく感じてしまうんですよね。

基本的に内観作業の時は観察者視点をキープし続けてもらいたいですが、それでもこの思い込みに触れたときは、感情が高ぶって抑えきれないかもしれません。泣いちゃうかもしれません。

それでいいです。
大切な癒しの過程として、存分に感じてあげてください。
自分を守るためにずっとがんばってくれていたエゴちゃんを、やさしく抱きしめてあげてください。

そして自然に感情の波が落ち着いてきたら、また観察者視点へと戻ってきてください。

ここまでくると、本当の願いはもう、自ずとわかるはずです。

「本当はどうだったらよかったの?」と聞いてみると、こんな感じの答えが返ってきます。

わかってほしかった。
心配してほしかった。
大切にされたかった。
関心を持ってほしかった。
必要とされたかった。
愛されたかった。

・・・などなど。

とってもシンプルで純粋。
小さな子どものような願い。

でも自己存在そのものに直結し、愛そのものに関連するような重要な願いですよね。

実際、人間の本質的な願いの根っこは、すべて自己存在や愛に関連しています。

たとえ表面上は物欲や支配欲が現れていたとしても、深いところはとっても純粋な願いだったりします。だからこそ、自分と向き合って真実を知るのはとっても怖いわけですけど・・・

あ、ほら、鬼滅の刃!
(突然どうした)

鬼滅の刃で鬼(累とか堕姫&妓夫太郎とか猗窩座とか)の過去、人間だったころの哀しい記憶が明らかになったとき、その心の変遷が結構共感できたりしません?

あれって、たとえいろいろあってヤサぐれてたとしても、深いところにはすごく純粋なものが隠れてるから、そこが共鳴して共感を生み、魅力的なキャラクターだと感じるんだろうなーと思うんですけど・・・どうでしょ?

他にはNARUTOの暁のリーダー・ペインとか、スターウォーズのアナキン(ダースベイダー)とかもわかりやすいかも。

もちろんこの世界を生きる私たちも、たとえ今、闇落ちしてヤサぐれ荒ぶっていたとしても・・・いや、だからこそ!人生の薄暗い底でしか見れない深淵を垣間見て、誰もができるわけでもない貴重な体験に果敢に挑戦中の素晴らしく純粋で魅力的な存在(魂)なんだってことを、トヨは声を大にしてお伝えしたいのです。

今この瞬間も、苦しいこと悲しいこと、いろいろあるかもしれない。

それでも、どんなに苦しい中でもこれまで生き延びてきているわけですから、実はとっても強靭な精神を持っているわけですよね。このことは今自分が存在しているという事実が証明してくれています。これってすごいことでしょ!?

生き延びることに特化して自分を環境に柔軟に適応させ、『自分の強さ』を知ってないとできない『自分で自分を責める』というハードめな生存戦略を選び取ってきたエゴちゃんという名の自分自身の心の一部は、決して、排除すべきものではないんですよ。

これもまたひとつの貴重な経験。
よく体験しました。がんばったね。

そうお伝えしたいのです。

それとトヨは個人的に、真の癒しとは『深い意識次元での自己理解』だと考えています。

だから、こういう内観作業のときこそ、こんなにも強靭な精神をもった自分がいたんだなって、自分を深く理解して、やさしく受け入れてあげてほしいなと思います。

もうひとつ。
内観作業によって本当の願いを知ったなら、ぜひその願いを、今度は自分自身で叶えてあげてほしいなと思います。

何があろうとも自分だけは自分を理解してあげる。
自分を大切にして、応援して、愛してあげる。

そうこうしているうちに、少しずつエゴちゃんの警戒もゆるんできます。

つまり、自分自身との信頼関係が回復してきます。

するともう罪悪感をわざわざ創り出す機会が減ってきます。

創ったとしても、すぐに思い出せばいいんです。
本当は何が怖かったのか、本当は何を願っていたのか。

そして気づいたら罪悪感じゃなく、本当の願いのほうへフォーカスして、都度、自分を理解して大切にしてあげる作業を根気強くやってあげてください。

自分を理解するって、すごい癒しなんですよ。
魂レベルで自分を癒します。

そうして少しずつ自分の本当の願いを叶えてあげていっていると、気づいたら罪悪感から抜け出すことができていた・・・という、そういう仕組みです。

以上、めでたしめでたし。

めでたしめでたし・・・じゃないわっ!
大切なこと書き忘れるところだった。

思い込みの修正作業。
心理学的には『認知の修正』です。

内観作業の中でどんな思い込みを持っているかわかったら、せっかくなんで引き続き、その思い込みついて再検討してみてください。

順番は別に、⑤と前後しても大丈夫だと思います。
トヨは④思い込みと⑤願いに同時に気づくタイプなので、内観の最後に修正作業をしがちなんですけど、④思い込みに気づいた時点で先に修正作業をしてもいい気がします。そこらへんは臨機応変に、です。

ただ、この作業をするときは観察者視点の意識で行ってください。大人であたたかいセラピスト的な意識でやってあげると、エゴちゃんも安心すると思います。

で、やることはその思い込みが本当に真実なのか確認することです。

↓ こんなふうな問いかけを観察者視点で行い、冷静に思い込みを観察&分析していきます。問いかけの内容はケースバイケースですが・・・

  • この思い込みは100%、絶対?
  • 生まれてから今に至るまで、一回も真逆の体験(必要とされる体験や愛される体験)は無かった?
  • 人間都合の偏った道徳や誰かの偏見・価値観に縛られていない?
  • この思い込みを持ち続けて、本当に自分は幸せ?

たとえば『私は要らない子だから』という思い込みだった場合・・・

本当に要らない子なのかな?
私が生まれてきたことを喜んだ存在は本当にひとりもいなかったかな?
本当に要らないならどうして両親は私を捨てずに育てたんだろう?
本当にこれまでの人生、一度も誰からも必要とされたことがなかったかな?
一度も誰かから感謝されたことはなかったかな?
一度も誰かの役に立った経験はなかったかな?

などなど。

あくまでやさしく穏やかに自分に聞いていくんですけど、この確認作業だけは、トヨの場合それはもうしつこく(笑)重箱の隅をつつくかのように確認してるかも。

だってせっかくここまで深く潜ってきたんだし、思い込みはエゴちゃんにとって一番の癒しポイントだし、ガッツリ触れてあげなきゃエゴちゃんが寂しがるじゃないですかー(←エゴちゃんはあまのじゃく)。

トヨの場合、こういう場面で持ち前の粘着質さが見事に発揮されるんですよね。粘着質でよかった・・・とんでもない才能よ、これは。

で、実際やってみると結構あっけなく「いや、必ずしもそうとは言い切れないかも・・・?」と、ゆるんできたりします。

ゆるんできたこのタイミングで
この思い込みって、本当に私を幸せにしてるかな?

と聞いてみると
むしろ人生をむずかしくしているかもしれないことに気づいたりします。

ここまできたら、じゃあ今後どうしたいか、率直に自分に聞いてみましょう。

ここからは、より成熟した今の自分を軸に、自分の人生を幸せに生きるためのすり合わせです。

実は『要らない子』なんかじゃなかった私として・・・
今ここにいる『私』として、これからどう生きたいか・・・

きっと、本当に純粋な願いが返ってくると思います。
④の願いともリンクするかもしれません。

その願いを大切に、暮らしてみてください。
未来はまっさらですが、自分で紡いでいけます。

以上、めでたしめでたし(二回目)。

内観作業のそのあとに

内観作業が終わったら、ゆっくり目を開けて、手足を軽く動かすなどして意識を現実に戻しましょう。

水を多めに取ってもらうのもいいです。

もし内観してみたけど何も気づきを得られなかったとしても、それはそれでよしとしましょう。

自分と向き合う意識を持てたこと。
これ自体が、それはもうすごい変化です。

そんな勇気ある自分をやさしく労わってあげてください。

少しずつやっていきましょう。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

・・・はい!

以上がトヨがいつも実践している内観作業の流れでした。
あくまで一例に過ぎないし、取り扱う内容によっても違ってきますが、ご自身と向き合う際の参考になれば幸いです。

次回は・・・なんだろう?
未定です。
それではまた~