前回は「トヨが人生の目的をどういう経緯で気づいていったか?」というような話だった気がします。
前回のお話はこちら↓
人生が私たちに人生の目的を気づかせたがっている
今回は人生の目的についてのラスト。
人生の目的を果たすための手段について。
そして人生の目的をガッツリ自覚して生きるということは魂にとってどういうことか?について書いていこうと思います。
人生の目的をどうやって達成していけばいいか迷っている方へ、何かしらの参考になれば幸いです。
人生の目的を自分で把握できる仕組みは用意されている
私の感覚では、人生の“本質的な”目的を知りたければ、これまでの体験を再確認していくと、うまいこと把握できるような仕組みになっている気がします。
実際にやってみると、自ずと人生にひとつの大きな流れがみえてきて、点でしかなかった個別の体験にパターンがあることに気づき、そのパターンの中に今生達成したい人生の目的がちゃんと隠れている感じです。
たとえば、過去世から延々と自分の気持ちや考えを伝えずに他人を優先する選択をし続けてきた人がいるとします。
その人は今生もやっぱり同じことを繰り返します。でもいずれ生き詰まります。苦しくなっちゃう。
そこでようやく「あれ?もしかして私、周りの人ばっかり優先して、自分の気持ちをぜんぜん周りに伝えてなくない??」と自分のパターンに気づく!!!
さて、こういう流れの場合。
今生の本当の目的(願い)は何なのか・・・わかりますよね。
『自分の気持ちや考えを伝える』
自分の中に生まれている想いを尊重し、勇気をもって主張し発信していくことが、その人が今生果たしたい人生の目的のひとつでしょう。
手段はお好きに選んでいただけます
目的を果たすための手段は結構自由だったりするんですよ。
各々気に入ったものを選んでいく感じ。
“山登り”に例えるとわかりやすいかな・・・。
目的地は山のてっぺんだけど、どの登山口からどんな手段で登るかは自分で決めてOKなのです。
だから人生の目的が『自分の気持ちや考えを伝える』人の例でいえば、身近な人たちに対して「もう黙らねぇ」と決めて日々実行するでもいいし、SNSやブログなんかで自分の想いをぶちまけてもいいし・・・。
もし勇気と勢いを上増しして使命感に燃えたぎる人生を体験してみたいなら、たとえば『人を癒し地球を救う使命』などを強い信念として自らに設定し、その使命を全うするために世界に対して変容を促す発信活動を行っていけばいいのです。
どの登山口から入っても、この場合の人生の“本質的な”目的は『自分の気持ちや考えを伝える』です。これこそが向かうべき目的地であり、同時に行動が発火する源・・・想いの根っこです。
人生の目的を自覚していれば、“使命”という概念にさえ囚われる必要もなく、ましてや自分を見失うこともありません。目的地はすでに明確なのだから、迷子にならないのです。
「伝えたい」
この純粋に湧き上がる想いを、どんな形であろうとも肉体を使って現実に表していく。
時には内面の葛藤やら周囲の抵抗やらで心が折れそうになる日もあるかもしれませんが、それでも歩みを止めなければいずれは山のてっぺんに到着!
気がつけば、顕在意識(=自覚可能な意識)と潜在意識(=無意識)に矛盾が無くなって、想いを自由に表現できている・・・そんな自分になれています。
人生の目的達成です。
ついでに人を癒し、地球を救うかも。
そうなると万々歳。
実にめでたいっ\(^o^)/
どうせ苦しいなら、自分から獲りにいけ
目的を達成することで、ようやくひとつ、私たちは心の束縛から解放されます。逆にいえば、そこに至るまでは悶々と悩みつつ、パターンを繰り返すことになるんですが・・・
だからこそ!!!
そのパターンから抜け出して自分を自由にしていくために、トヨは個人的には、自分の意思で積極的に攻略しにいくのもアリなんじゃないなかなーと思ってますよ。
もちろん大きな流れには乗ってますが、更にその流れの中のコアな流れを自ら掴みにいくのです。
だってそうしなきゃ延々と同じこと繰り返すだけですから。
過去世も含めて体験の表面的な部分だけに右往左往して延々と心が引きずられるばかりでは、やっぱり苦しいですもん。
無自覚に流されるだけではなく、顕在意識上で大きな流れを掴んで、その中からパターン(生き癖)を見出すほうが、断然攻略が早いです。
獲れるもんは自分から獲りにいく・・・
肉食系メンヘラッキー魂★!!!
要はこれですね(違う)
人生の目的を自覚した生き方のススメ
最近つくづく感じることですが、人生って思いのほか短いもんだなぁーと。
きっと人間は人生の“本質的な”目的なんて知らなくても、とりあえず最期のときまで、なんとなく生きることはできるんです。
で、それも自由だし、そういうなんとない体験もまた大きな流れのひとつだと思ってます。
ぶっちゃけ本人が苦しいと感じなければ全然OKなんですよ。
なのでトヨが「よかったら人生の目的を自覚して生きてみないかい?」と提案したい対象は、自己矛盾(自分と本質的自己との不意一致)を抱えた人や、自己存在や人生の意味に悩んでいて苦しい人だけです。
要は、今生ラッキーなことにラッキー魂★!!!の段階に至った人へこそ、次の肉食系メンヘラッキー魂★!!!への進化を推奨しているというわけですね(うっざ)。
(※『ラッキー魂★!!!』の詳細については前回の記事をご参照ください)
いやーだってさ・・・
終わりの訪れが確定事項のほんの短い人生の中で、目的を踏まえて『どう生きるか』を自覚的に選びとって生きるか、それとも無自覚に流されるまま生きるかによって、全く違う生き方になることだけは間違いないですやん。
同じ翻弄されるにしても、自覚的に翻弄されるのと無自覚に翻弄されるのとでは、体験の質が変わってくるといいますか。
そもそも選択の基準が変わってくるといいますか。
どうせ体験しなきゃならんことなら「あーこの体験、例の目的達成に必要で起きてるヤツだわ」位に俯瞰した観方をしてるほうが、たとえ荒波であったとしても人生の舵切りがうんとやりやすくなりません?
いずれにせよ、魂は最終目的を果たすまで輪廻転生の呪縛(エンドレス生⇔死の苦しみ)から逃れられない存在なわけで・・・
だったら観念して人生の目的を理解して受け入れ、自覚的に目的を果たすべく限りある命を使うほうが、短い人生を無駄なく有効活用できそうな気がしてますし、自分をより自由にするし、ラクにもなるし、楽しくもなるよ、と密かに思ってます。
これをあえて少し強い表現をさせていただけるとするならば・・・
実はトヨは、そもそもみんな目的を忘れ去って迷子になってるだけで、本来私たち(魂)がわざわざ人間として肉体を纏ってきてる理由ってこれをするためやん!とさえ思ってたりします。(あくまで個人的な見解ですよ~上手にスルーしてください~)
ま、すべて自由ですからネ。
迷子が苦しいとは限りません。
苦しくなけりゃ、それでいい。
因みに、人生の目的を本当の意味で理解するためには、同時に魂の目的についても理解したほうがわかりやすいのです。
ということで、次回は魂の目的について書いていく予定です。
それではまた\(^o^)/




