前回は、最近よく耳にする例の二極化(と、アセンション・次元上昇)をヨーガの視点から眺めてみるために必要な、インド哲学の世界観を解説しました。
今回はいよいよ二極化の話題をヨーガの視点から観たとき、一体何が観えてきたのか自分なりにまとめてみようと思います。
(※今回の記事は、前回お伝えしたヨーガの世界観が頭に入ってないと意味がわからない内容だと思われます。まだ読んでない方は下のリンクから前回の記事を読んで、またここへ戻ってきてね!)
それではいってみよう!
まずは、一応前回記事の要点をまとめました。
内容が頭に入っていて必要ない場合は飛ばしてください。
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【要約】
- ヨーガにも“次元”についての教えが聖典に記されている
- ヨーガの世界観では、私たちが認識しているこの世界はもともとあらゆるものが常に二極の間を変化し続ける二極・相対の世界であり、“二極”は前提・構成要件であって、≪する≫≪はじまる≫≪やってくる≫≪加速する≫ものではない
- ヨーガの世界観では、真の自分(観るもの/観照者)が二極・相対の物質世界(観られるもの/対象物)の二極どちらも真の自分ではないと完全に識別すること(=二極の対立を超えること)で悟りを得る
- ヨーガの世界観では、二極・相対の物質世界が存在する目的は、真の自分が“自分とは何かを悟るため”にある
【悟りの意識状態】
二極・相対世界の事物は真の自分ではないことを完全に識別。
【一般的な人(悟っていない人)の意識状態】
絶対意識から切り離されたように錯覚し、二極の対象物と自分とを混同して執着する。真の自分が何者かわからない無智な状態。
さて、これを踏まえて、現在世間でよく語られている例の“二極化”を観ていきましょうか!
よくスピリチュアル業界の方が発信している二極化って、人によって解釈がちょっとずつ違ってるなーとも感じますが、ザックリまとめると要はこういうことですよね?
愛と光と調和に満ちた世界へ向かう人たちと、現状の世界のまま留まる人たちに分かれるっていうお話。
(私の個人的な解釈によるイメージなので、細かい文言などしっくりこない場合はスルーしてください。また、この図では二極を横に並べて表しましたが、縦に並べて上下で表しても同じことだと思ってくださいね。)
世界が二極化する・・・という話なので・・・その世界観をヨーガの視点から眺めてみると、こういう感じになります。
一方はアセンション(次元上昇)するんだからこの図は違うでしょ!と思われるかもしれませんが、光と闇・調和と混沌・ポジティブとネガティブなど、対をなす概念が分離して二極化するということは、結局は二極・相対の世界という枠組みの中でのお話になります。
だってもともと二極を前提とする世界の中で「二極化が加速する」っていうことは・・・つまり結局は二極の世界ってことですよね。私にはそういう結論しか導き出せないんですけど・・・どうなんでしょう。
人間が肉体次元で感じるレベルの『ポジティブ』『喜び』などという“概念”や“感覚”も、前回記事でお伝えしたように“二極の間を常に変化する対象物”です。変化するということはつまり永遠ではないので、二極・相対の世界に留まることになります。
いくら重いものだけを置き去りにして軽い世界に向かったとしても、二極の対になる概念が存在する限りいずれは変化するんですよ。
だから今騒がれている二極化後の光の世界も闇の世界も、結局どちらも人間の既存の意識状態に変化なく、二極・相対の世界の枠から出るものではないかなぁという感じがしています。個人的には、ですけど。
前回の記事でお伝えした通り、そもそもヨーガの世界観では以下の聖典に記されているように、二極どちらにも執着せず、それらを同じものと観る(=結局どちらも観られる対象物でしかないと識別して執着を放す)ことで解脱に至るといわれています。
◆バガヴァッド・ギーター第2章48節
アルジュナよ、執着を捨て、成功と不成功を平等(同一)のものと見て、ヨーガに立脚して諸々の行為をせよ。ヨーガは平等の境地であるといわれる。
バガヴァッド・ギーター(岩波文庫) 上村勝彦訳 より引用
ポジティブ(光)もネガティブ(闇)も、人間が肉体の制限された機能を使って自分の都合でそのように判断・認知したに過ぎず、真実在(真の自分・観るもの)からすると区別するものではなく、同じものと観るんですよ。
どちらも“単なる識別対象”であり、“二極・相対世界の現れ”であり、“自分ではないもの”です。
最終的には執着を捨て、両極全てを手放します。
それが解脱です。
ポジティブに向かうことが解脱ではありません。
もうひとつ。
前回記事で、二極・相対の物質世界は、“観るもの”である真の自分が、『自分とは何者かを知るため』に存在しているというお話をしました。
自分とは何者かを知るという目的のもとに、この世界は在るんです。
もっと言うと、私たちが認識しているこの二極・相対の世界は、物質・概念・肉体・感情・記憶・感覚など全て、“自分ではない”ものなんです。
私たちは自分ではないものに全方位囲まれて様々な体験をしながら自分の意識次元を高め、やがては自分以外のものを“自分ではなかったんだ”と気づく(識別する)ことで最終的に自分を悟るというプロセスを踏んでいきます。
そのための世界です。
ポジティブもネガティブも必要性のもとに存在しています。
あらゆる体験を通して自分を成長させて、自分に至るために。
そして、この完璧なシステムこそが『愛』です。
人間の想像可能な愛の次元とはだいぶ違いますね・・・二極どちらも超えた視点から観なければ、理解できないかもしれません。
私たちは愛に包まれて、完全なる愛に基づく体験をしています。
時に厳しいこともあります。
ネガティブだと感じることもあるでしょう。
にんげんだもの。
でも、だからこそ、二極を超える視点というものがあり、そこへ至ることが生きる目的であることを明確に自覚しているかどうかで体験の質が変わってきます。体験に対する意味づけが全く違ってきます。これはとってもとっても重要な智慧の智識なんです。
あ、いかんちょっと熱くなって話が逸れました。
・・・話を戻して。
で、だとしたら、いわゆる二極化の先、最近よくいわれているところのアセンション後のポジティブ面だけ抽出された光の世界って、本当に、真の『愛』でしょうか?本当に真の『調和』でしょうか?そこに人間視点の都合、エゴの意識は混じってないでしょうか?
ここは本当に、皆さん一人ひとりが慎重に見極める必要があります。それこそ識別の力が試されるところです。
また逆に、二極化の波?に乗ってアセンション?をすることで置いてけぼりにしようとしているもう片方も、二極・相対の世界を超えた視点からみると、完璧な『愛』の現れだということは、認識しておいたほうがいいと思います。それは真の意味でネガティブという括りには当てはまるものではないのでね。
ポジティブ・ネガティブどちらも観るものたる真の自分にとっては単なる対象物であり・・・自分を知るために用意された、『愛』なる現れ。
全てを材料として経験を積み、そこから気づきを得て、ようやく私たちは自分を知ることができます。
だから今、私たちは外側の情報に意識を引きずられていないで、本当に自分をよく観たほうがいいんですよ。
なぜネガティブ面だけを置いてけぼりにしようとするのかを。
「アセンションするためにどうしたらいい?」
「二極化の流れに乗り遅れないためには?」
「まだ間に合う!覚醒して光の世界へ向かうために!」
こういう意識は、一体自分の内側の何に結びついているでしょうか?
一体どういう感情が奥底に流れているでしょうか?
私には・・・“執着” “不安”らしきものが観えてくるんですけど・・・皆さんはどう感じますか?
執着を放さないままで高い次元へ向かうっていうのが、ヨーガの世界観から眺めて観るとなんとも不思議な感じがしています。
あ、そうそう。最後に・・・。
『陰陽太極図』ってご存知ですか?
【陰陽太極図】
黒色は陰を表し右側で下降する気を意味し、白色は陽を表し左側で上昇する気を意味する。魚尾から魚頭に向かって領域が広がっていくのは、それぞれの気が生まれ、徐々に盛んになっていく様子を表し、やがて陰は陽を飲み込もうとし、陽は陰を飲み込もうとする。陰が極まれば、陽に変じ、陽が極まれば陰に変ず。陰の中央にある魚眼のような白色の点は陰中の陽を示し、いくら陰が強くなっても陰の中に陽があり、後に陽に転じることを表す。陽の中央の点は同じように陽中の陰を示し、いくら陽が強くなっても陽の中に陰があり、後に陰に転じる。太極図は、これを永遠に繰り返すことを表している。
Wikipediaより引用
これね ↓
これって、それこそ私たちが観ている世界の二極・相対性をわかりやすく現した図だと思うんです。
この図によると、光が強まるほど光に内在する闇は深くなり、やがて光は闇へと転じます、よね?
だとすると、『二極化』という意識の想念に基づく二極の片割れである“光”の世界が進んでいったその先の先は一体どうなるでしょう・・・???
この陰陽太極図のように、やがては・・・なんて、ね。
まぁ普通に考えても、永遠なる光の世界というのは、“光”と“闇”という概念そのものから解き放たれない限り体験することはできません。「これは光である」と認識できるということは、対になる闇が必ず存在しているということですから。
光と闇、どちらの概念からも自由になった時はじめて真実が観えるということです。
そのためにも、真の自己が“観るもの”であることを思い出し、識別の智慧をもって自分以外の観られるもの(対象物)から意識を放していく作業をやっていきましょう!というのがヨーガの教えになります。
はい、
ヨーガの世界観から『例の二極化』を眺めてみました。
これにて一旦おしまいです。
あくまでヨーガの世界観から眺めてみただけなので、これが正しいとか、そういうお話ではありません。
以前こちらの記事↓でも書きましたが、私はスピリチュアルにもいろんな段階があると思っています。いろんな観方があり、それぞれの世界でその段階に合った体験をしていて、人それぞれ感じる正しさもあります。
今回この記事を書こうと決めた理由は、自分自身の整理のため・・・。それと、二極化が何なのかわからない人や、違和感を感じる人、二極化に伴う“アセンション”キャンペーンの煽りに怯えている人など、情報の際(キワ)に佇む人に向けて、「こんな観方もありますよ」とご提案しておくのもいいかなと思ったからです。
もしこの情報が本当に必要な人がいたら、頑張って読んでくれるかな・・・という希望のもとに書かせていただきました。(超長文を。)
きっと人の数だけ視点はあるので、この記事もその中のひとつと捉えて、もしピンときたところがあったら持ち帰って熟考し、ご自身の内なる目で識別して頂ければと思います。
それでは!





